本を読んでいて、
「あきらめる」
という言葉が目に止まり、ふと、あ、あきらめるって、悪い意味じゃなくて、明らかにするほうの意味だな、と思いました。
「明らめる」
「つまびらかにする」とか、「真相をはっきりさせる」「明らかにする」という意味。
漢字の「諦」は、仏教では梵語のsatya(サティヤ)の訳語で、真理、道理、悟りのことだそうです。
ちっとも悪い意味じゃない。
じゃあどうしてあきらめるって、断念するとか、ギブアップとか、ネガティブなイメージなんでしょう?
物事の真実を明らかにすることで、ようやく諦められる、というのが元々の意味のようですが、真実を明らかにする部分が抜け落ちてしまい、ネガティブな意味だけがひとり歩きしてしまっているのですね。
日頃、自分と向き合うことを意識して行くと、自分の真実が見えてきます。
今の私はこうしたいのか。
本当は私はこんなふうに考えていたんだ。
などなど…。
出てきたものを見て、ガッカリすることもあるし、さすがやん!と思うこともある笑
前の私だったら、ガッカリする自分にダメ出しをし、これでもか!と痛めつけていたことでしょう。
でも、もうずいぶん、あきらめたのです。
完璧であろうとすることを、あきらめる。
いい人でいることを、あきらめる。
本来の私ではない、何者かになろうとすることを、あきらめる。
自分の真実が明らかになっていくことで、あきらめていくのです。
結局私は、私でしかない。
どれもこれも私。
そうやって自分を受け入れて行くことで、いろんなことがゆるせて、心が軽くなり、少しずつラクになる。
あきらめるとは、あきらかにすること。
本来の自分をあきらかにし、受け入れてあげる(あきらめる)と、断然生きやすくなります。
あなたも是非、あなたをあきらめてみてはどうでしょう?笑
きっとあなたの世界が、大きく変わりますよ。
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